やまなかまりこができるまで3
東京~大阪編

◆1 決意

東日本大震災が起こる。サークルではすぐさま、チャリティーイベントを行うことに。
しかし、「こんな大変な時にそんなことしていていいんですか?」など活動に批判が来たことも。
自分が本当にやりたいことや活動の在り方を今一度見直すきっかけになった。
また、当時住んでいた東京では水の安全性を問う声が出たり、ママたちにも不安が広がる。
そこで、ただ不安がっていても変わらない!とママスタッフを募り防災イベントや救命講習などを区を巻き込んで開催しました。
全員に理解されなくてもいい、自分が必要な場を作り続ける!
と決意し、その想いをブログやメールで発信。

この頃から、「自分はこう思う」を発信することの大切さに目覚める。
山中さんの考え方が好き!と言ってくれる人が増えて、自信がつき始める。

◆2 とうとう来た!引っ越し

ところが恐れていた引っ越しが再び!
3月の上旬に夫に内示。異動までの時間はたった20日
すでに4、5月の教室は仮予約で埋まっていたのに、ここで引っ越しが決定してしまった・・・。
ご迷惑をかけてしまうので、他教室を紹介したり、
前倒しで開催できる分はお受けしたりバタバタの3月。
気持ちを入れ替えて、ブログ名も速攻で大阪向けにチェンジ。
メルマガも作り、活動の準備をしつつ引っ越し準備。
10日前になっても家が決まらず、段ボールに荷物を詰めながら最後のレッスンをしまくる。
それでも、なんだかわからない悔しさと不安で毎日家ではメソメソ泣く日々。
それでも、ブログを見てくれて引っ越し前に、大阪の方から教室へのお問合せをいただく奇跡が!
引っ越し数日前にやっと家も決まり、役所にダッシュ。
よし、また頑張ろう。次は大阪だ!

◆3 初関西

はじめての関西。引っ越して一番最初にやることはとにかく学校の手続き。
学校で必要なものも土地勘がないので、何をどこで買ったらいいか分からず右往左往。
地図を買い、それを見ながら自転車でぐるぐる走り土地勘をつけていく。
学校用品を買いに出た大阪での初ドライブでは、道を間違え大騒ぎの半泣き状態に。
学校では引っ越してすぐなのにPTA広報副委員長をやることに。
おかげで先生の名前や学校のことを色々教えてもらうことができてこちらは不安が解消。

子育てグループを東京に引き続き作ろうと思ったものの
使おうと事前に調べていた施設は人気が高く、すでに6月ぐらいまで取れない!
まずはお家教室からスタートすることに。はじめての土地だけにどのぐらいママ世代がいるか不安な日々。
最初にお問合せをくれた人がなんとすぐ近くにお住まいと知り、テンションがアップ。
その一方で、すでに私よりずっと前からベビー系の教室がいくつもある地域。これは普通にやっていたのではだめだ!と気が付き切り口を変えることに。
転勤族メインのグループにすることでだんだんとお問い合わせが入り始める。
転勤族の多い大阪北エリアはママ友達が欲しい人がいる!私の経験も役に立つ!とわかり俄然やる気になる。
お客様のお住まいの地名を聞くとすぐに地図で調べて、お近くの方が教室に来た時にはおつなぎしたりご縁つなぎをしつつ活動。自分も転勤族ママであるということから、親近感を持って頂けるようになる。また、地域情報などを自分がまさに知りたかった情報などを交えながら情報発信。
この年も夜にマンガ喫茶に行ったりしながら、年間600記事以上のブログを書く。

◆4 私が実行行委員長!?

関西1年目。関東での仕事で知り合った方から大阪大丸でのママフェスタの実行委員長をやらないか?と打診をいただく。
関西に土地勘も知り合いもゼロで、引っ越し一年目で活動も忙しい中できるだろうか??と不安になる。
が、結局私がやらないと実行委員も立ち上がらないためやることに。
色々、調べて関西で活躍しているグループのリーダーたちに実行委員を一緒にやらないか?と声をかけ始める。
来場者300人程度の幼稚園のバザー長レベルの経験しかない私に舞い降りた大きなイベント。
しかも、徐々にレッスンも忙しくなり、
ブース出展者さん、大丸さんとのやり取りなどで本当に周りに助けられながらの実行委員でした。
おかげで数キロ痩せました。
当日はとにかく大盛況。各ブースでは1万円札が飛び交い
テレビの取材も入りました。
ここまでずっと一人で活動してきた私にとって、
仲間と協力するとこんなにビックなことができるんだ!というのは新鮮な発見でした。
と、同時に人数が増えると打ち合わせも増え、時間や体の負担は増えるのだなというのも実感したイベントでした。
このイベントではほとんど頂いたお金は交通費に消えました。
でも、自分の労力を出し経験したことで1000名を集めるイベントの作り方、
準備、必要な経費や協賛の取り方、後援依頼の方法など沢山のことを学べました。
このイベントを機に、関西のママ起業化、ハンドメイド作家さん、講師たちと知り合うことになりそれがその次の年の活動へとつながったのでした。

◆5 大阪2年目

関西2年目。PTAでは同じ委員なら勝手もわかっているし!と2年目は広報委員長をやることに。
仕事と違って善意のボランティア活動。こういうリーダーはまた別の大変さがあるのだなと実感。
こっそり仕事や書類を減らしたり勝手に業務改善。
子育てグループも2年目。
コラボイベントなども増え、市に後援をいただけるようなイベントも次々に開催。
徐々に口コミや紹介でママたちが集まり始める。
自転車や車で市を横断し、別の場所でもレッスンを開始。
最初は3名の参加者が、紹介してくれていつの間にか10人、15人とレッスンは盛況に。
お家教室も盛況で狭いお家にママたちがバスや電車でやってきてくれるように。
ベビー系講師の養成講座もお申し込みが入り、怒濤の大阪2年目。
今でも仲の良い大阪の講師仲間林ゆいさん
一緒に企業さんとのコラボイベントもスタート。

難しいエリアでの集客に苦戦しながらも二人でひたすらど根性活動の日々。
このころ二人でよく言っていたのは「最後の最後まであきらめないで声をかけ続けよう、集め続けよう」ということ。

◆6 えっ!また転勤なの?

ところが、ここで再び夫に辞令が!!
「今年はたぶんないと思う」なんて言っていたのにまさかの横浜への転勤。
3年はいるだろうと勝手に思っていたので衝撃を受ける。
息子もここで卒業させてあげたかったなと誰に対してか分からない怒りでいっぱいになる日々。
活動もやっとうまく行き出したところだったのに。本当は次の引っ越しのために3年目は講師を募って活動を引き継ぎたかったのに。

またもや教室は456月のお客様に仮予約を頂いていたので、急いで他の教室を紹介。3月はバタバタでレッスンを行う。お別れの色紙やお手紙を頂いて、このころも家ではよく泣いていました。
とはいえ、泣いてばかりもいられない。内示の出たその日にはブログ名を変えて、横浜向けに記事を書き始めました。もう、そのぐらい何かしていないとダメになりそうなそんな精神状態でした。
ああ、また0になっちゃうんだ・・・・・
この時に、友人の林ゆいさんが言ってくれた「まりちゃん、関東はそんなに遠くない!次は仕事でおいで」という言葉。「えー、どうやって??」と思ったけれど、のちにこの言葉が私の世界を広げてくれたのでした。